いま発生してもおかしくない首都直下地震に、日ごろから備えておきましょう

川辺家の墓

川邉家 旧久地村 総本家の墓

久地川辺家一族と是政川辺家一族 宗家の墓 全体画像
小田原城を拠点に関東で活躍していた
北条氏康の家臣・川辺伊賀守清忠の墓
川辺伊賀守清忠のお墓と清忠が開基した養周院の本堂
荷物置き場の石だろうか

川邉家  旧是政村 総本家の墓

是政川辺家一族 宗家の墓 全体画像
江戸時代の墓

川邉家 旧是政村 元名主家の墓

わが家にとっては川辺家 元名主家の初代だけが
直系の先祖となります

府中市是政 真言宗豊山派西蔵院

 川邉家の墓   墓石建立 昭和35年3月  施主 川辺うめ 

川辺家 元名主家2代目・川辺五郎兵衛
その兄か弟(江戸時代前期)以降の先祖代々が眠る

府中市是政 真言宗豊山派竜泉寺

 川邉家の墓   墓石建立 平成15年12月   施主 父上

僕の祖父と祖母の遺骨が眠る

府中市是政 真言宗豊山派竜泉寺

祖父が昭和47年2月に他界以来、長年の懸案でした墓石建立事業ですが、
平成15年12月に無事、竣工することができました。ありがとうございました。

 川邉家の墓   建立 昭和10年9月   施主 川辺榮太郎 

川辺清三郎の二男・川辺熊次郎さんと妻子の遺骨が眠る
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府中市是政 真言宗豊山派竜泉寺

 わが家の墓があるお寺

真言宗豊山派 八流山一乗院 竜泉寺

 竜泉寺のいわれ
新義真言宗。八流山一乗院と号する無住である。
本堂二間に二間、庫裏三間に三間。新編武蔵風土記稿に
「除地、一町一段四畝廿四歩、中村にあり、八流山一乗院と称す、新義真言、府中本町妙光院の門徒。
客殿四間に五間、本尊正観音、木の坐像長一尺許、開山開基詳ならず。」とあり、
妙光院の門末世代記に「開山末分明 中興元亀三年壬申之比 権大僧都長賢法印
字 慶長十八年癸丑八月六日」とある。

俗に面子寺といい、腫物ができたとき仏前にかかる面をかりて行き祈願すると効果が著しく、
なおったとき新たに面を奉納するという信仰があり、現在(昭和42年当時)でもなおこの目的で参詣にくる人があるという。
なお、江戸時代、是政八幡宮(是政八幡神社)の別当寺であった。

 

現在でもご本堂に昔のお面が現存しています。不気味な恐いお面もありますが、大切に残していただきたいです。

境内入って左手には大正時代や昭和初期の尼さんのお墓

「府中市史史料集(14)」
昭和42年3月15日 府中市発行より

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