昭和初期、祖父・川辺文吉が開いた八百屋。屋号は八百文になりました
また、青果業をはじめた祖父は、東京多摩青果株式会社の発起人も務めました。
八百文は昭和30年代に父へ引き継がれました。
八百文の軒下を用水路が流れ
透き通った水にはシジミやドジョウ・フナ・ハヤが泳いでいた
用水路は、府中用水系水路のうち妙光院下水系水路で、
JR府中本町駅の南東(地図)で、府中用水本流から分水されていました。
八百文の三輪自動車で配達
パンや缶詰めも販売していました
昭和48年に八百文から川辺商店
(写真は完全閉店後 昭和53年か54年に撮影)
カルピスも販売していたそうです
(写真は完全閉店後 ベランダで遊ぶ僕)
建物が解体される1年前の平成4年
閉店してから16年後も「川辺商店」の看板が設置されていた
昭和48年には店舗新築に伴って名前は総合食品 川辺商店に変わりました。
こうして 昭和初期から地域の人々に愛されてきた八百文は、
心機一転、リニューアルされたお店で続けていくことになりました。
しかし、西武多摩川線是政駅前にできていた是政駅前商店街に
青果店が2店舗開店していき、お客さまの足は、そちらへと移っていきました。
こうして、時代の流れによるお客さまの大幅減少により、
昭和51年8月26日に閉店いたしました。
営業中におきましては、毎度ありがとうございました。