川崎市高津区久地 曹洞宗養周院
久地の川辺家はほとんど
菩提寺は養周院です
由緒
天正10年(1582)、久地川辺伊勢宮川原に川辺伊賀守伊右衛門清忠(吉祥院殿源川本覚徹山大居士)を開基として創建され、下作延円福寺四世吉山瑞琢大和尚が開山である。
旧記によれば、五間半の本堂、八間半の客殿に観音堂、地蔵堂、鐘楼の諸堂があって、伽藍の偉容を誇っていたが、文久3年(1863)多摩川の氾濫によって諸堂宇流失し、久地中新田耕地の現在の場所に移し再建した。ところが慶応3年(1867)失火によって諸堂消失。明治3年(1870)仮堂建立。明治29年(1896)本堂を再建し、昭和51年(1976)2月に解体されるまで曹洞宗寺院として檀信徒の信仰の場であった。その後、昭和52年(1977)3月に新本堂を建立し、新時代にふさわしい堂宇が整えられたのである。
本尊釈迦牟尼仏。他に聖観音菩薩(御丈六寸五分)、文殊菩薩、普賢菩薩、大権修理菩薩、閻魔大王、達磨大師、両祖大師の諸像を本堂に。韋駄尊天、鳥枢沙魔明王を客殿に安置してある。
真言宗豊山派 西蔵院
わが家を含めて
是政の川辺家は、ほとんど西蔵院です
真言宗豊山派妙光院と曹洞宗高安寺が
菩提寺の川辺家も、わずかにあります
JRA東京競馬場と多摩川の間、府中街道沿いにあります。
お地蔵様が小僧に化けて、村の百姓を助ける美談「鼻取り地蔵」の伝説で知られています。
西蔵院は、多摩八十八ケ所霊場の札所二十四番でもあります。
府中街道の拡幅工事に伴い、本堂が新しくなり、地蔵堂や鐘楼が移動しました。
9月には鼻取り地蔵尊縁日で賑わいを見せ、大晦日には鐘楼で鐘つきが先着で楽しめます。
平安時代末期の保延元年(1135)の開創とされていますが、現在地に移った延宝3年(1676)中興。
本堂は平成13年(2001)建立。地蔵堂は安永8年(1779)建立。
平成20年(2008年)7月15日放送、テレビ朝日のちい散歩で、 故地井武男さんが立ち寄ったお寺。
鼻取り地蔵
むかしむかし、一人の農夫が田で代掻きをしようとすると、馬が暴れて少しも動かない。
農夫が途方にくれていると、どこからか一人の小僧が表れ、馬の鼻棒を取るといいます。
すると、あれほど暴れていた馬はおとなしく歩き出し、あっという間に終わってしまった。
気がつくと、もう小僧の姿はありませんでした。農夫が足跡をたどっていくと、
西蔵院の地蔵堂の前で消えており、お地蔵様の腰まわりが泥だらけだったそうです。
府中市是政3-35-10
榎本隆乗