9月の第2日曜または第3日曜の午後1時から、 是政の太鼓・宮神輿・山車の町内巡行が始まり、
現在の府中市是政を反時計回りに、ほぼ7時間半かけて1周します。
是政八幡神社から是政駅前商店街(是政南町町会神酒所)までは、是政南町町会の町神輿が子供神輿として、
途中、サントリー武蔵野ビール工場正門前から府中多摩川通り住宅までは、是政6丁目自治会の町神輿も子供神輿として加わり、
前半は子どもたちの「ワッショイ!ワッショイ!」という声で賑わいます。子供は町に元気を与えてくれます。
夜には、是政1丁目公会堂から是政1丁目町会の町神輿が神社まで巡行に加わり、
さらに、是政通りの中央道付近からは是政南町町会・是政西部自治会・是政6丁目自治会・是政3丁目東部町会の町神輿も巡行に加わり、
神社までクライマックスは、太鼓・宮神輿・山車のほかに、5基の町神輿で賑わいます。
このように今は賑わいを見せている是政八幡神社(是政3丁目 )の例大祭ですが、
昭和20年代・30年代・40年代前半の例大祭は、衰退して寂れていたそうで、
昭和12年生まれの父は「静か過ぎて暗いお祭りで怖かった」と言っています。
昭和30年代まで、是政3丁目の古川氏が所有していた神輿によって、例大祭が開催されていました。
個人所有神輿と大正時代製作の小さな宮太鼓だけで、寂しく巡行していました。
町名地番改正によって、昭和37年に府中市是政と浅間町、昭和39年に府中市若松町が誕生しましたが、
それ以前は、浅間町北部と若松町西部も是政村→多磨村是政→府中市是政だった地域で、
「通是政(とおりこれまさ)」 と呼ばれていました。そのため、現在の若松町まで巡行していたそうです。
昭和29年9月15日 是政八幡神社例大祭
多磨村是政から府中市是政になって初めての例大祭 後列一番左が若き日の父。
当時は是政青年会ではなく是政青年団だった。提灯には「八幡宮 御太鼓」の文字が見られます。
昭和62年9月に太鼓が新調されるまで使用されていた大正時代製作の太鼓
現在、ご拝殿の中に安置されており、毎年、宵祭り・例大祭の時に見ることができます。
年に一度のご祭礼で、ご拝殿前に展示されている小太鼓は、父の話によると昔、
是政のお稲荷様がある屋敷を、この太鼓を叩きながら歩いたそうです。
神輿ではなく軽トラで例大祭
昭和40年代前半、初代是政青年会長になった父は、
軽トラの荷台にヤシの木を組んで、よしずと提灯で飾りつけを行い、
荷台には子どもたちに配るバナナなどを積み、あらかじめ録音しておいた囃子のテープを流しながら巡行したことが、
現在賑やかな町内巡行スタイルに至るまでの「はじめのいっぽ」でした。
ヤシの木は、府中市商工まつりで使っていたものを、譲っていただきました。
このような歴史を詳しく知る人々は、年々少なくなってきてしまいました。
浅草の子ども神輿で例大祭
「やはり町内巡行には神輿を」と考えた父は、市議会議員だった故野村重光氏と一緒に、浅草まで足を運び、
貸してくれる子ども神輿はないか…、台東区浅草のまちを探し歩きました。
そして、浅草の宮本卯之助商店で無事、子ども神輿を5万円で借りてきて、例大祭を開催しました。
大映撮影所のプラスチック製神輿の時代も
翌年、5万円を払って神輿を借りてくるのは大変という声もあり、
新東宝で、撮影用に使われていたボロのプラスチック製神輿を借りてきて開催しました。
無事に宮神輿が新調されるのは、昭和56年のことでした。
子どもたちに“おかし”を配り始める
また、太鼓・宮神輿・山車の町内巡行の際、神酒所(休憩所) は
子どもたちに“おかし”を配ることを父らが提案、
子どもたちや親御さんを例大祭に呼び集めて、賑やかになっていきました。
現在、午後1時からの町内巡行で最初の神酒所(休憩所)は是政中部公会堂ですが、
当時、最初の神酒所は我が家だったようで、父たちがおかしを配っていました。
是政保育園の園児が描いた絵
是政八幡神社に隣接する是政保育園の園児が描いた絵の行燈も、
父が是政青年会長を勤めていた時代に提案したものですが、
現在でも、是政保育園などのご理解とご協力のもと続いており、提灯とともに神社を明るくしてくれています。
是政八幡神社奉賛会設立の声
是政八幡神社奉賛会は、「そろそろ奉賛会を設立しよう」 という是政青年会の声により、
初めて是政の山車が新調された昭和51年に、設立準備委員会が発足されました。
そして、昭和52年4月に高木太郎氏を初代会長、渡邊宮司・市村神官を顧問に迎え、誕生しました。
以来、歴代会長・副会長・理事で運営され続け、平成24年で設立35周年でした。
是政八幡神社奉賛会 設立準備委員会発足以降の歴史
昭和51年 | 設立準備委員会が発足 |
山車を初めて新調 | |
昭和52年 | 宮太鼓の皮 両面張り替え |
昭和53年 | ご拝殿屋根 葺き替え |
昭和54年 | 舞台・山車小屋 新築 |
昭和55年 | 例大祭用の又木新調奉納 |
昭和56年 | 宮神輿新調 是政青年会協賛 |
昭和58年 | 社務所(是政公会堂)補修工事 |
昭和62年 | 宮太鼓新調 |
宮太鼓格納庫新築 | |
山車改修 | |
昭和63年 | 太鼓御仮屋製作新調 |
平成元年 | ご神木(府中名木百選の大けやき)保存養生 |
平成2年 | 参道敷石補修工事 |
平成5年 | 境内玉垣建設奉納 |
平成16年 | 宮太鼓の皮 両面張り替え |
平成19年 | 奉賛会設立30周年 |
平成20年 | 奉賛会設立30周年記念事業 奥の院解体復元工事と狛犬台座改修工事 |
(参考:是政八幡神社奉賛会の資料)
是政八幡神社奉賛会 歴代会長
初代 | 高木太郎 |
2代 | 橋本勘三 |
3代 | 市村良隆 |
4代 | 篠塚孝雄 |
5代 | 石橋英致 |
6代 | 橋本隆信 |
7代 | 相澤啓雄 |
是政中部自治会に住む人々の氏名入り提灯
2008年7月15日放送 テレビ朝日のちい散歩で、地井武男さんが歩いた道です。
最近の新しい試みとしては、是政中部自治会 内に住む人々の氏名入り提灯を、
大太鼓・子供神輿・宮神輿・山車の町内巡行の道筋に飾ることを提案し、皆さまの多大なるご理解とご協力のもと、
平成15年の例大祭から続けられています。続けてこられているのは皆様のお陰です。ご協力に感謝申し上げます。
J:COM東京(旧社名シティケーブルビジョン府中)の地域情報番組
(スタジオ31→WEEKLYケーブルタウン→週刊ホットWAVE→たまいち→ホームタウン→すぎ☆たま→ジモトピ)では毎年※
地域に鎮座する神社の秋祭り紹介の“大鳥”として紹介されてきた現在の例大祭からは想像ができない昔のお話しでした。
これからの例大祭、地域住民が楽しめますように、ますますのご繁栄をお祈りいたします。
※現在の 地域情報番組では、番組放送時間の縮小と番組放送エリアの拡大に伴い、
大変残念ながら、「ホームタウン」の頃から、取材していただけない年もあります。
是政青年会 歴代会長
初代 | 川辺 | 7年間 | 選挙で選ばれた |
2代 | 佐藤 | ||
3代 | 永井 | ||
4代 | 野村 | ||
5代 | 橋本 | ||
6代 | 尾崎 | ||
7代 | 古川 | ||
8代 | 吉川 | ||
9代 | 鈴木 | ||
10代 | 新井 | ||
11代 | 大橋 | 2年間 | 2年交代制に変更 |
12代 | 倉崎 | 2年間 | |
13代 | 鈴木 | 4年間 | 鈴木元都議のご子息 |
14代 | 榎本 | 1年目 |
平成30年9月現在
※2年交代制になったのですが、13代・鈴木会長はなぜか4年目です。
山車・神輿・太鼓の新調
山車 | 昭和51年 新調 昭和62年 改修 |
神輿 | 昭和56年 新調 |
太鼓 | 昭和62年 新調 |
町内巡行のルート
是政八幡神社 | 午後1:00出発 | ・是政南町町会神輿(子供神輿)が同行。 |
是政中部公会堂 | 午後1:20出発 | |
是政西部自治会館 | 午後2:00出発 | ・山車と是政南町町会神輿(子供神輿)は多摩川通り住宅へ。 ・宮神輿と太鼓はそれぞれ別ルートで6丁目自治会館へ。 |
(サントリー正門前を通過) | 午後2:15通過 | ・是政6丁目自治会神輿(子供神輿)が合流し同行。 ・是政6丁目自治会小太鼓が合流し同行。 |
是政6丁目自治会館 | 午後3:00出発 | |
府中多摩川通り住宅 | 午後3:15出発 | ・是政6丁目自治会神輿(子供)は出発後、地元へ戻る。 |
是政駅前商店街 | 午後4:00出発 | ・是政南町町会神輿(子供)は出発後、本流と別れて4丁目へ。 |
マンション・リムザ | 午後4:35出発 | |
中央道高架下 是政公園 | 午後5:10出発 | ・是政1丁目の稲荷神社の太鼓が是政1丁目公会堂まで同行。 |
府中第八小学校 | 午後5:45出発 | |
是政1丁目公会堂 | 午後6:50出発 | ・是政1丁目町会神輿が是政八幡神社まで同行。 |
(中央道を通過) | 午後7:10通過 | ・是政3丁目東部町会神輿(おばさま神輿) ・是政南町町会神輿 (大人) ・是政6丁目自治会神輿(大人) ・是政西部自治会神輿が合流、神社まで同行。 |
村中公園 | 午後7:45出発 | ※昔、是政村村中や多磨村是政字村中と呼ばれていた事に由来 |
是政八幡神社 | 午後8:00到着 |
(時刻は平成21年の町内巡行)